1980年代の中学受験

職場の同僚(開成卒)と昔の中学受験の話になり、そう言えば2年前の6月に1980年代なかばという記事を書いた事を思い出した。自分と同僚の記憶になるが記してみたい。

この時、筑駒中との併願が開成中一色ではなかったと述べたが、確かにそうだった。正確に言えば、1日、2日の難関校と、受験するかどうかは別として、取り敢えず筑駒中にも出願していたと言うべきか。

そもそも、開成中、麻布中は2月1日、2日と二日間試験があった。2日目は面接試験だ。そして、筑駒中は2月2日に試験があった。だから開成中や麻布中と筑駒中のダブル合格は原則できなかったのだ。しかもその頃の筑駒中は事前の抽選が厳しく、出来る子も普通に抽選で落とされていた。ところが、1980年代前半に麻布中が面接を中止した。そこで麻布中-栄光学園中、麻布中-筑駒中の併願ラインが確立した。この影響は間違いなくあったと思われるが(当時通っていた塾の先生談)、開成中が麻布中の数年後に2日の面接を廃止した。それこそ1980年代半ばの事だ。武蔵中がどうだったかの記憶はないが、レベルはまさに御三家と呼んでよく、東大合格者数も70-80人位と合格率では御三家トップだった。また西東京桐朋中は2教科入試だったが東大合格者数は50-60人位で、かなりレベルは高かった。その後、筑駒中の試験日が動き、今の体制に落ち着いている。ちなみに、以前にもふれたが、2000年頃までは灘中、ラ・サール中の試験日は3月の上旬だったため、首都圏の子は本番が終わって1ヶ月も空いてからお試しに行っていた。

試験日の違いで色んなドラマがあるが、最後にすごいドラマを。上述の同僚の兄弟の話。2月1日の開成中入試が雪で延期になった年があるのだが、駒場東邦中にも同時出願していて、西日暮里から急遽、駒場東大前へ移動して受験。その後、開成中も受験、なんと両方に合格したのだとか。そういう子がその年は数人いたらしい。何があるか分からないので、同時出願も(お金は掛かるが)検討しておきたい。