1980年代半ば

1980年代半ばの首都圏の塾事情。

私の当時の思い込みと記憶の限りで振り返ってみたい。

ダントツは四谷大塚だった。続いて日能研、そして凄い勢いのTAP。そして東京標準というテストだか?の塾もあった。この辺りが有名どころだったと思う。

四谷大塚はテストが会員制で正会員、準会員なんて制度があり、正会員はかなりのステータスだった。当時の四谷大塚から開成中に150名位合格していた。当時は合格者数が320名位だった頃である。日能研は神奈川から進出してきた塾で、麻布中の合格者数がナンバーワンだった。東京標準は自学自習の出来る優秀な子が多い印象だった。

その後、1990年代にかけてTAPがトップを獲ることになる。校舎は東京校(八丁堀)、三鷹校、横浜校くらいしかなかったと思う。開成中に100名以上の合格者を出し、優秀層がどんどん集中した。ちなみに中学部もあり、定員100名の開成高に60名位送り込んでいた。

この頃の四谷大塚の偏差値表を見ると筑駒=開成>麻布=武蔵>栄光学園>慶応中等部>駒場東邦=桐朋=慶応普通部>早実>早稲田>海城=巣鴨…、となっている。

当時の筑駒は今ほど開成との併願ばかりではなかった。麻布、武蔵、栄光、駒東、桐朋あたりとの併願もあったのだ。もちろん最難関に変わりはないが、今ほど開成一色の併願ではなかった。最近は開成との併願が多いため、開成の合格者数が400名にも及ぶ。繰り上げを合わせると440名位になるとも言われている。もちろん関西からの灘との併願者もいるが、それにしても多過ぎる。ちなみに当時は関西の方が入試日程が遅く、今よりも関西の生徒が東京の中学をお試しで受け易かったという事情もある。

で、塾の話にもどるが、例のTAP、これが1995年頃に分裂する。それがサピックスだ。分裂後の3年間位はTAPも頑張っていたが、すぐに衰退した。サピックスの経営方針はTAPとは真逆で教室をどんどん増やした。TAPは一教室に集中させていたが、サピックスは首都圏を丸ごと獲にいった。これが物の見事に的中し現在に至る。

自分自身は東京ではない首都圏で上記のどこでもない塾に行っていた。その様子はまたいずれ。